要旨:私は五年前に中国の西安市より日本に来た留学生です。 来日したとき日本語についての知識は全然なく、勿論一言も喋る事は出来ませんでした。 ただ、その時思ったのは、同じ漢字を使う民族だし「同文同種」の間柄であろうとの親近感はありました。 たしかに日中両民族は歴史的にも民族的にも「同文同種」であることには違いないのですが、来日して色々なことを学び、見たり聞いたりする度に今日の日中両民族は「同文同種」というには少し違っているのではないかと考えるようになりました。
私の育った西安の慈恩寺の大雁塔は、石と泥で固めた重量美であるのに対して、日本の寺の五重の塔や三重の塔は、木造建築の空間的な軽量美を庭園との調和において見事に生かした創造であって、けっして中国の模倣文化ではない、日本寺院の建築美を見ることが出来ました。 中国の寺と日本の寺の景観は、同じ大乗仏教の系列にありながら、どうしてこうも違うのだろうかと思いました。
日本は中国文化の粘液質的な重厚美から、日本的に理想化された部分を上手に料理して取り出すことに成功したのでしょう。 日本の寺に見られる枯淡、繊細、優美、それに静寂は、やはり日本独自の創造であろうと思いました。 そしてそれは単なる建築美学上の相違だけでなく、文化の違いに大きく起因しているのではないかと考えました。 そこで中国文化と日本文化を比較して見ることで両国の文化の違いを考えて見ようと思いました。 しかし、まだ経験の浅い私の知識でのことですから、難しい文化論などとてもできませんので私が体験したものに基づいての文化比較論とさせていただきます。