要旨:世界上すべての言語は全人類共通のものがあるが、自身の文化規則を制約されるものもある。つまり、言語の中に、あるものが他の文化背景の人も理解できるが、あるものが自身の文化規則で解釈しなければならない。金田一春彦は昔から「日本人は話す時に、人称代名詞をほとんど使わない、特に一人称代名詞をよく省略することがある。ひたすら“私が”“私が”を言ったら、自己強調というイメージがあって、他人に不快をもたらす。できるだけ使わない方がいい。」ということを指摘した。漢語は日本語と違って、必要があれば、幾つ使ってもいい。他人に不快な感覚をもたらしない。これは文化が言語への干渉である。
それでは、私たち中国人日本語学習者にとって、母語や母国文化が外国語学びに干渉があるか、その干渉の程度はどうであろうか、干渉に関する要素は何か、どのように解決されるかは問題である。本論ではこの干渉が外国語学びへの影響を重点として研究する。
衆知のように、中国人が中国語を話す時、よく人称代名詞を使うが、日本人が日本人が日本語を話す時、よく人称代名詞を省略する。本論では、中国人日本語学習者の一人称代名詞の使用状況を研究対象として、母語や母国文化が外国語学びへの影響を研究する。
具体的な研究方法としては、まず、先行研究を踏まえて、日本語人称代名詞の省略を紹介する。次は、日本文学作品の原文と中国語訳本を対比し、その人称代名詞の使用状況を比較し、その結果に基づいて分析する。また、インタネットと各書類で、日本人と中国人の日本語自己紹介文を収集し、その一人称代名詞の使用状況を分析する。
本人の時間と精力の関係で、本論は日本語一人称代名詞の省略についての研究限る。まだまだ未熟なところがあって、今後も続いてこの問題を研究するつもりである。
キーワード:母語干渉 一人称代名詞 省略 母国文化 影響