要 旨:日本は婉曲な表現をよく使う国である。普通の会話の時、露骨に話すより、むしろ遠まわしをしながら、話を交わす。婉曲表現は日本だけでなく、中国でも使ってきた。趙剛(2002)は日本語と中国語の婉曲表現を比較して、中国は日本より婉曲表現を使用するケースと頻度が高いと述べている。しかし、日本で婉曲表現を使うケースと頻度が高いと思う、そして、日本で使っている婉曲表現は中国ではどのように使っているのだろうか。また、どんな言葉は中国或いは日本において使うべきではないのだろうか。これを中心に、本稿では日本語と中国語の婉曲表現の共通点と相違点を分析したいと思う。
まず、婉曲の意味を説明し、次に中国人と日本人の言語表現と言語習慣を分析し、最後に言語表現に見られる中国語と日本語の相違点を分析する。
五つの場合での言語表現から、中国において婉曲に表現することもあれば、遠まわしをしないで、直接、固い言葉をよく遣うこともあるが、日本では大体遠まわしをしながら婉曲表現するのが、日本の一つの文化であると思う。そして、日本人の客観的な表現は日本の文化であり、中国人の主観的な表現は中国の表現である。それから、中国は自己主張する文化で、日本は相手に気を遣う文化である。異文化によって、言語表現、心理的表現、考え方が違うと考えられる。それで、日本で使っている婉曲表現を中国でも使えることではない。つまり、中国での直接表現も日本では通らない。また、日本人は中国より他人と一緒になろうと言う気持ちの強さ、日本人の心の細かさと言葉遣いの慎重さ、美しさ、言語表現の細かさをわかった。ところで、婉曲表現を使うのは、人と人の間に摩擦を起こさないために、使われているが、しかし、他の国と交際する時には、誤解を起こす可能性がないとは限らない。そのため、そのことをもっと詳しく証明するのが今後の課題である。