序論
中国は世界で最も古い歴史を持つ国の一つである。何千年前から、中華民族は人類の文化の発展に、重要な役割を果してきた。中国はアジア諸国と国土が互いにつながる。あるいは、海を隔てて相望む。中国文化はかつて古代東方文化の、精神的支柱とされ、東方文化の中心といわれていた。
島国である日本には約200万年前の旧石器時代から人間がすんでいた。その後、日本は縄文時代、弥生時代、大和時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代を経って、今の日本文化を形成した。
苑崇利(2000)によると、中日両国の文化交流の歴史は先史から始め、少なくとも2千年ぐらいは経つ。日本は古来より当時先進地帯である中国大陸から文化を取り入れた。弥生時代に入ると、水稲耕作の技術が中国大陸から日本の西から東へと伝播していた。大和時代に最初の政権である大和朝廷は関東地方から九州の中部に至るまで、ほとんどの豪族を従えさせるようになり、中国との外交が行われた。630-894年の間に日本は中国へ十何回に遣隋使をわたって、派遣した。これは中国文化の摂取による朝廷権威の高揚をめざすものである。奈良時代に朝廷にほぼ15年一回の頻度で大規模な遣唐使を派遣した。その後、中日の文化交流はだんだん頻繁になってきた。いかなる国家、民族、あるいは文明の間でも、互いに参考にし、長所を取り入れ短所を補うことができる。中国文化は、かつて日本に重大な影響をもたらした。