要旨:旧暦の五月五日は中国民間の伝統の祝日──端午の節句であり、それは中華民族の伝統的な祝日である。
今でも、端午の節句は非常に盛大で厳かな祝日の1つである。太陽暦の五月五日は日本でも端午の節句であり、日本の伝統的な祝日のひとつである。
両国の端午の節句の起源は同じだが展開が異なり、発展する中でそれぞれ独自の変化をとげていったので、両国の祝日の活動や意義などに相違が生じた。 しかし、その中においても切り離せないものがある。
たとえば、菖蒲、鯉、雄黄などであり、これらの中に私たちは中・日文化の関係をうかがい知ることができるのである。
キーワード:端午、行事、意義、変異、文化
まず、中国と日本の端午の節句には断ち切ることができない関係があるという点である。
たとえば、菖蒲の使用や、鯉のぼりと登竜門の関係などである。序論によって、中国と日本の端午の節句だけでなく、ほかの伝統的な節句にも多かれ少なかれ関連があることがわかる。節句は具体的な例であって、もし文化面全体のことに及んでも、同様の結論を得ることができる。即ち、中・日文化は密接な関係があるということである。たとえば、中国の蛇皮線と日本の三味線、三線、中国の剣術と日本の剣道、中国の漢服と日本の和服などである。
これはすでに古代以来からのことであって、古代日本人は固有の文化を創造する際、文化が高度に発達していた中国から絶え間なく学習していた。政治法令、宗教思想、学問芸術、風俗習慣など、中国から摂取したものは数えきれない。即ち、日本文化は中国文化から栄養を吸収する過程で形成、発展していったのである。これに関して、日本の漢学者である内藤湖南は、「日本の文化が豆乳であるとすれば、中国の文化はそれを固まらせる豆腐のにがりである。」(注12)と言ったことがある。この有名な比喩は、中・日文化の伝達関係を如実に表現し得ている。