要旨:多くの日本人は、死は最大な解脱や楽なことであると思われる。彼らは死に対して病的な憧れがある。自殺までも一種の芸術になっていく。彼らは死者を尊重しなければいけなくて、人が死んだ最後、無罪になると考える。2001年4月から、小泉純一郎は五年半の任期中、靖国神社を参拝した。そういう行いはひっきりなしにアージア国民の感情を深く傷つける。野党の代表はそういう問題を質問した時、小泉は強引な態度を表した。「どの国も戦死者を弔った気持ちがあります。どの遣り方で弔うというと、他の国は干渉する資格がない戦死者へ敬意や謝意を表すとは間違いではないか」。
「人が死んでから、神様や仏になる」と日本人はそう思われる。そういう「死」への伝統意識が存在するこそ、日本人は独特の死生観を持つのである。「人が死んでから、罪が共に消える、死者に尊重すべきだ」と今まで、多くの日本人がそういう考え方がまだ残っている。小泉が言われた「罪を恨む、人を恨まない」、「人が死んだが最後、罪が無くなる」。「死で罪を償う」もそういう意味がある。
本文は靖国神社に対する日本人の態度および靖国で宮参りした目的から日本人独特な生死観を詳説してみる。
キーワード:靖国神社;死生観;仏教;日本の歴史
目次
要旨
中文摘要
1.はじめに.1
2.靖国神社について.1
3.日本人の死生観.2
3.1仏教上の死生観
3.2軍事的観点からみた死生観
3.3武家を中心とした死生観
3.4中世・隠者の死生観
4.日本人の死生観が形成した原因2
4.1日本の伝統的な「物の哀れ」は日本人の死生観の影響
4.2仏教の無常観は日本人の死生観の影響
4.3「滅亡美」の桜から日本人の「死を美とみなす」死生観を見る
5.靖国神社の参拝から見た日本人の生死観3
5.1死は生と緊密に関わり
5.2死は集団に責任を負う行為
5.3死で罪を償う
6.終わりに .5
参考文献6
谢辞7