要 旨:永井荷風(明治 12 年~昭和 34 年)は明治、大正、昭和の 3 時代を生きとおし、 近代化を目指して進んでいくうちに帝国主義に陥る日本を身をもって見聞してき た作家である。彼の中短編小説の多くは花柳狭斜や陋巷に取材し、頽廃な耽美情緒 が漂う一方、文明批判が潜んでいる。『地獄の花』を持って文壇の新進作家になっ た荷風は最初ゾライズムの感化を受け、「暗黒なる幾多の欲情、腕力、暴行等の事 実を憚りなく活写せんと欲す」(『地獄の花』跋文)が、次第にモーパッサンの文学 に共感を覚え、5 年間にわたるアメリカ・フランス留学生活期間中さらにモーパッ サンやボードレールなどの文学作品の影響を受け、作品に情緒的で随筆的な要素が 増え、耽美主義的傾向が濃厚になる。
本論文は早期の紀行的また随筆的小説『あめりか物語』を取り上げ、渡米時代に 成り立ち、荷風の晩年まで貫いていると言える「陋巷趣味」をテーマに作成してみ たものである。
第一章では、まず「陋巷趣味」とは何かについて論究し、実生活上と文学上から「陋巷趣味」を考察する。次に青春時代また滞米時代における実生活と文学修業の 両面から荷風の「陋巷趣味」の形成を検討し、荷風を陋巷に引き連れていったのは 青春時代の放埓の引き続きのほかに、父の無理解と銀行勤務の苦痛、また文学上の 目覚めとモーパッサンらの文学作品の影響であるという結論を下した。
第二章では、『あめりか物語』から「陋巷趣味」に胚胎した諸作品、即ち「雪の やどり」と「悪友」、「夜半の酒場」、「夜の女」、「ちゃいなたうんの記」、「夜あるき」 の六編を取り上げ、テクストの分析を通じ、陋巷の「醜美」、フランス文学の受容 及び荷風独自の耽美主義的変質、社会問題への関心と文明批判、また「陋巷趣味」 の本質を考察した。
第三章では、帰国直後の創作活動と大逆事件による「転向」、「陋巷趣味」による 花柳小説を考察し、最後に、荷風における「陋巷趣味」は最期まで貫いているとい うことを明らかにした。
キーワード:永井荷風 『あめりか物語』 陋巷趣味 文明批判