要 旨:専攻は日本語なので、日本語の語感を検討してみたいと思う。前人の研究によると、語感は様々な種類に分かれる。その中に語義指向性、評価性、文体性、待遇性、年齢性という五種類があって、それに中立的なものもある。本論では主に「ノルウェイの森」による文例を中心に、語感を右の六つの種類に分けられているが、その中で特に言葉遣いと文末表現による語感について検討してみることにした。
キーワード:日本語 語感 言葉遣 種類
語にはそれぞれ一定の中核的な意味があるが、その周辺にはいろいろな感じがまとわり付いていて、それらをひっくるめて「語感」と呼ぶことができる。それは語感に関する『日本語教育事典』による権威ある定義である。分かりやすく言えば、言葉で相手に何かの情報を伝える時、相手は情報を聞き取るとともに言葉から受けた何かのイメージや感情を語感と言う。例えば、「床屋」と「理髪店」、意味は一緒だけど、聞き手が受けた感じはちょっと違う。
私が日本人と接しているうちにしみじみ感じられたのは、日本語の語感は特に重要で、豊かなものである。それによってひとつでも言葉の使い方や終助詞及び文型の使用が不適当だったら、相手方の気持ちを損ねたり、心に傷つけたり、人間関係を壊されたりする恐れがあるということである。なぜならば、日本人は自分が人にどうされているか、自分が人のことをどうしているのが一番いいか、などのことに他の国の人々より一層敏感している民族なのからである。例えば、「待て」と「お待ちください」とはかなりイメージが違う。知らない人に「待て」と言われると、あなたはそんなに偉いのかと思っている。その反面、「お待ちください」と言われると、そよ風になでられるように気持ちはよくなった。もちろん後者に好感をいだくようになって、用事もうまく行くようになる。これによって、人々と付き合う時に相手方の気持ちを悪くしないように、人間関係をスムーズにするように、よく語感に気をつけなければいけないのではないだろうかと思う。