要 旨:川端文学は大正末期、昭和初期、戦後に分けられている。大正末期から昭和初期にかけて、川端は横光利一達と共に、新感覚派[]の理論的、実践的な支柱として活躍した。その時期の川端康成は西洋文学を目指して、それまでの日本伝統の写実的な表現方法を否定して、感覚面で鮮やかなイメージを描き出したと言われているのである。『伊豆の踊子』はその時期の作品である。日本の伝統文学の土台の上に西洋文学を受容し、独特な川端文学が形成されたのは、その以後だと思われる。したがって、虚無的な哀しみをもった川端文学特有な美意識があふれる作品として、様々に評価されているのは、『雪国』などのそれからの文学作品である。『伊豆の踊子』における美意識を分析した作品は本当にわずかなのである。『伊豆の踊子』は川端が20代の時自分の体験に基づいて書いた作品であり、若い一途な心持の時に一気に書いた作品で、心の奥底にある意識が自然に現れるのだと思う。川端康成は、日本の美の伝統を受け継ぎ、日本古来の美しさや悲しみの世界と日本人独特の感性の動きを深く純粋な眼で見詰めてきた。ここでは、『伊豆の踊子』から、川端の自然の美しさ、女性の美、および「もののあはれ」[]などの特有な美意識を析出してみたいと思う。