要 旨:ご存知のように、作家の芸術スタイルの形成は客観環境と主観条件に強くつながっている。だから、作家の文学スタイルを研究するには、作家の生活経験、時代背景、当時世界文学の影響などを研究しなければならない。 本論文では川端康成と大江健三郎の代表作「美しい日本の私」と「曖昧な日本の私」を例にして、分析しながら、比較してみようと思う。
キーワード:川端康成;大江健三郎;文学观
はじめに
川端康成は1968年ノーベル文学賞を授与されて、 その授賞式において 『美しい日本の私』というタイトルの講演をした。それで、日本人や世界の人々の頭で『美しい日本の私』の印象は残されていた。それから、26年後、日本人の二番目のノーベル文学賞をもらった大江健三郎は『曖昧な日本の私』という授賞講演を題した。読者にとって「美しい日本の私」を見たら、すぐに大江の『曖昧な日本の私』も想起させることはいうまでもないだろう。同じ日本人でありながら、まったく違った日本感を持っているようだが、どういうわけであろうか。
先行研究
筆者が調べたところでは、川端と大江についての研究がたくさんあるらしい。しかし、中には比較の角度から研究するものがそれほども多くないようである。「感觉与存在——川端康成与大江健三郎艺术世界之比较(河池学院 邓国琴)」や「 “美丽的日本”与“暧昧的日本”—— 川端康成与大江健三郎创作比较(广西师范大学中文系 杨晓林)」といったような研究成果を読んでみて、やはりはっきりしていないところがあるようである。いったい二人の文学世界はどう違うのか、どうして違うのか。