要 旨:本稿では、中国人と日本人の遠慮表現を分析しながら、言語表現に見られる中国人と日本人の違いについて考える。
「遠慮表現」とは、人間が日常的なコミュニケーションをする場合に、相手を傷つけないように、また自分が相手に好ましい印象を与える対人表現である。
具体的にいえば、相手自分の考えを伝える場合に、より一層相手の気持ちを考え、不愉快な思いや気を悪くするような印象を与えなく、相手に誤解されなく、礼儀を失わないように、相手の尊厳、名誉、自尊心、面子、利益などをなるべく守る。また、相手を心地よい気分にさせるように、自分が相手にとって喜ばしい存在であるように、積極的に相手に愉快、喜びをもたらすことを意図するという意味である。
「遠慮表現」は社会の身分や上下関係「タテ」を顧慮する「敬語」と異なって、「ヨコ」の人間関係における対人表現である。人間関係の尺度を測る読みとして使われているのであるため、日本の「ソト」の世界で多く見られる状態である。順調な人間関係を維持する点では、「敬語表現」と「遠慮表現」との共通点があると見られるが、相手を上位にするか否かで相違点がある。「敬語表現」は相手を上位に待遇し、心の距離を置いて待遇するものである。「遠慮表現」は必ずしもすべて「敬意」を示すものではない。「敬意」を示すよりも、相手の心を傷つけないように、相手に好ましい印象を与えるようにする点を強調する。柔らかく話し、丁寧に聞こえ、場合によって暖かく感じられ、話し先自身の品格を保つ表現である。
「遠慮表現」の中日比較に関する研究はまだまとまったものがない。本稿では、言語構造による違い、自己抑制の日本語表現と自己本位の中国語表現、言語表現の使用の違いの三つの面から日中両国の遠慮表現を分析し、その相違点を明らかにする。今後日本人とのコミュニケーションの役立ちになると楽しんでいる。