要 旨:日本と中国は同じ東洋に位置している農耕社会の国家として、「家」制度が各自の社会に大きな役割を果たした。しかし、日本の「家」制度を考察してみると、中国の「家」制度と比べた場合に大きな差異を示している。中日血縁観についてはこれまであまり研究されていない。そこで、本稿では、中日の「家」制度はどのような相違点があるか、どのような関係があるか、血縁観はどのように違うかを研究してみたいと思う。本稿を通じて、多くの人に中日の「家」制度の相違点を理解するように願っている。
中国の家族は父系関係によって結ばれて、母親方の親戚を「外親」と呼び、父親方の「本宗」と区別している。考古学によると、中国東部沿海と黄河流域の龍山文化、斉家文化と揚子江流域の屈家嶺文化、青蓮崗文化などの時期から父権制が確立した。父権制の確立に伴って、父系大家庭が社会の基本的な構造となって、氏族構造と一体化した。家長が即ち氏族長であって、同宗同姓の血縁関係が唯一の紐帯であった。階級と国家の形成後、分封制の出現によって氏族制が家族―宗族制に変わった。この制度は夏に始まって、周に至って盛んとなった。春秋戦国時代の土地私有制の変化につれて、領主―奴隷型経済システムから地主―小作農型の経済システムと変わって、分封制度が廃止されて、家族は宗族から遊離し始めて、最終に宗族に代わる基本的な社会群体となった。
中国の「家」は次のような特徴がある。