要旨:日本の善悪観は曖昧で中国の善悪観は絶対的である、と言われるが、果たしてそうであろうか。本文は東野圭吾と程小青の作品を材料に日中の善悪観および報い観を再検討するものである。
研究の結果、東野の善悪観は社会秩序の安定を善、それを乱すことを悪という根本的な分別は存在していて、善悪の基準は人の本性ではなく行為そのものに向けられている。また、その善悪も動機や状況が人情的かどうかによって左右されるためにその報いも相対的に変化するが、善悪を分別する能力は非常に重視していた。一方、程小青の善悪観は行為ではなく人に定められており、その善悪は道徳によるもので、その報いの良し悪しもまた道徳によるものである、という結論を得た。
キーワード:善悪観;報い;東野圭吾;程小青;推理小説
目次
要旨
中文摘要
1、初めに1
2、定義 .1
2.1報いの定義
2.2善悪の定義
3、先行研究と考察2
3.1日本
3.2中国
4、東野圭吾の作品中に見られる善悪観と報い3
4.1東野圭吾の紹介
4.2作中の探偵役にみる善悪観
4.3小説中の報い
5、程小青の作品中に見られる善悪観と報い7
5.1探偵「霍桑」の紹介
5.2作中の探偵役にみる善悪観
5.3小説中の報い
6、善悪観および報いの相違9
7.おわりに9
参考文献11
謝辞12