要旨: 戦後の中日関係は、中国を除外された「サンフランシスコ条約」と「日台条約」締結によって、長い間国交が結ばれなかった。それにしても、両国の民間では交流を開き、国交を回復する声は、絶えなかった。岸信介が首相となる前まで、三回も「民間貿易気協定」を結んできた。だが、岸内閣は「第四回中日貿易協定」の調印を実現させたが、台湾の抗議や長崎国旗事件によって、今まで積み重ねてきた中日交流のパイプが広げるどころか、途絶えてしまった。本論文は、岸信介の政治立場、対外政策などを考察したうえ、その対中国政策及び中日関係への影響を論じてみた。青年時代でファシズム団体に参加し、植民地支配の経験を持った岸は、社会主義を極端にまで排斥し、自由陣営側のアメリカや台湾国民党政府に偏った政策をとったので、結局は、拡大しつつある中日交流を断絶させてしまった。
キーワード:岸信介;中日関係;第四次中日民間貿易協定;長崎国旗事件;日台条約
目次
摘要
要旨
1岸信介と中国-1
1.1岸信介という人物-1
1.2岸信介と満州:-2
1.3岸信介と現代中国-3
1.3.1戦後の国際情勢-3
1.3.2岸信介と台湾-3
2戦時の岸信介と中国-5
2.1 ファシズム者である岸信介-5
2.2満州国における岸信介-5
2.3戦犯である岸信介の変身-6
3戦後の岸信介と中国-9
3.1中国敵視政策-9
3.2「二つの中国」論-9
3.3中日友好運動への阻害-10
3.3.1岸内閣前の中日交流-10
3.3.2岸が中日友好運動への阻害-10
3.3.3第四次中日民間貿易協定の破綻-11
4岸信介が中国敵視政策を取った原因-12
4.1軍国主義、ファシズム思想の持ち主-12
4.2西側陣営の立場-13
4.3右翼の土壌-13
終わりに-15
参考文献-16