要旨
東亜同文書院は日本東亜同文会に1900年から1945年まで中国の上海で開催された特別な学校である。日本政府との密接な関係があり、それに支持、管轄されている。日本全国から学生を集め、中国語と中国文化を教えてあげ、大量に中国を精通する人才を育てるということになる。学生が卒業する前に中国各地で旅行調査をして、また旅の見物を詳しく記録し、日本政府に渡す必要がある。このように書いた内容は今多くの論文が検討しているのである。また、世界事態が騒々しい二十世紀初で、書院は特に中国各地へ調査に行くのを重視した。ある外国学校の留学生はほかの国の土地にたち、思うままに調査をするという教育方法は中国でこんな学校は一つもないといってもいい。それによって、なぜ目下の論文は大体東亜同文書院が整体としてそのスパイ性を検討しているのである。
しかし、資料を調べると、書院の中で一部の学生、例えば:手嶋博俊、副島竜起、楊柳青、西里竜夫、岩橋竹ニなど、彼らは中国で長時間生活してから、中国人民が日本軍国主義に苛めされたのを目覚め、「兴亜論」がいかさまものであると感じ悟り、だんだん反戦分子になった。中日友好のため一生懸命頑張った。「日支闘争同盟」はその中のモデルである。私は目下の論文を基づき、東亜同文書院の学生から、書院最初の設立精神、学生の募集方式、課程配置、学生活動などの方面で説明し検討しておく。さらに特別の背景には、中華学生部を開いた後中日学生友好事績を重点を置いて論じるつもりである。学生は学校から除き、ただ学生で、スパイではない。この論文を読んで後、これらスパイではない学生を知り、書院を全面的に把握できることを期待する。
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