要旨:国はたくさんの小さな家からなるもので、ひとつの国にさまざまな家があり、もし、異なる国となると、なおさらのことである。巴金の『家』と島崎藤村の『家』から中国と日本の家が見られ、本稿では、巴金の『家』と島崎藤村の『家』から見た中国と日本の思想文化の異同について考察する。
本稿は作者の書き方の違いや「家」や「分家」に対する理解、雇い人の地位などを分析し、両国の思想文化の異同を指摘したい。
本稿は作品を書く時の社会背景や伝統的な封建思想を検討することにより、両国の思想文化の異同を展望したい。
本稿は中国と日本の思想文化は深い絆を持っているが、異なるところもいっぱいあるということを解明しようとする。
巴金の『家』と島崎藤村の『家』の比較について、あまり研究がなされていなかった。そこで、本稿はこのような研究状況を踏まえて、巴金の『家』と島崎藤村の『家』から見た中国と日本の思想文化の異同を明らかにしたい。