要 旨:『源氏物語』は日本の伝統的文化によって書かれ、中日文化と中日文学が結晶され、融合された模範的な作品である。
中国文学作品の中で、日本の『源氏物語』は『紅楼夢』と数多くの類似点があり、『紅楼夢』の著者はこれまでの伝統的な考えや言葉遣いを打破して書きあげたの で、200年が経過しても、現在の人々の話す話題とほとんど変わりがないのである。それは、独自の思想が格調高い芸術スタイルとして今も輝いている。
賈宝玉の性格について,以前, 紅学は賈宝玉が階級に叛逆する視点から研究した。私はここに彼の性格的な叛逆の視点から分析してみる。階級的叛逆と性格的叛逆は対立しても,いつもそれらは統一性がある。
『源氏物語』の中の光源氏の性格分析した学者は多い。『源氏物語』と『紅楼夢』の中の人物像を描き出した二人の作家の耽美主義には創造性がある。紫式部と曹雪芹この二人は素晴らしい著者に間違いない. 前者は直接多くの政治、道徳、人格理想を光源氏にあたえ、そして自分の理想を貴族社会の向往に託した。後者は, 反語の形を使って間接的に自分の人生態度を示している。光源氏は幼いころから可愛くて頭が切れ、この本の中で「この天子は特別に可愛くて, もし凶暴な武術者やかたきが彼の様子を見れば、好きになって微笑せざるを得ない。」と言っている。
一方では, 光源氏は自身は情欲が強く, 勝手気ままだ。でも, 彼は作家をしばしば美化させ、ある程度彼への同情が寄せられる。明らかに見てこれは作家の歴史的背景につながっているようだ。この論文では, 光源氏の荒唐無稽な行為を批判するのではなく、空禅、紫姫と玉蕈などと光源氏が交際する時に彼女たちの心理的活動を描写してみたい。彼女たちは光源氏が嫌いだが、しかしこれらの小さなことは光源氏の全体のイメージには影響しない.
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