要旨:言葉は人間のコミュニケーションの重要な道具である。日本語の敬語というのは、話し手と聞き手、および話題人物との間のさまざまな関係にもとづいて言葉の使い分けとその人間関係を明らかにする表現形式のことである。
敬語をもっている日本人は、それが在ることが空気のように当たり前に感じるばかりで、それにすっかり安住して、敬語がどうしてあるのかということについて思いを巡らすことさえ滅多にない。敬語の働きについて考えたことなどは到底ない、敬語抜きで日本語をどう使ったらいいかなど想像できないありさまである。日常の人間関係を敬語なしで円滑に進めようとすると、唇寒しということになりかねない。それとも人間はともすると敬語に寄りかかって、自分なりの表現を使ってそのときどきの対人関係をつくるという心を忘れがちなのではない。もしそうならば、あたら敬語があるせいで、日頃心をことばにする仕事を怠っているのかもしれない。そうなら、ことばによって人間関係を構築することができる。
本研究では、先行研究を踏まえたうえで、敬語と人間関係を研究対象にし、その内在的の絆と相互働きを探求しようとしている。また、中国語の敬語及び中国語の敬語と人間関係も分析し、日中対照で、中国語にも親疎内外を区別する敬語があるが、上下関係や親疎関係による言葉使いのは日本語はもっと明瞭かつ精細なことが分かる。本研究の考察した結果は、原始儒教の「親疎の分」の脈絡をひいて、現代では中国も日本もその生活において内輪の人と外の人とに対して親疎の別がある。欧米の人間関係においてはこういう内親外疎の意識はあまり強く感じられない。
しかし、中国と日本などの儒教文化圏の国では、知っている人と知らない人に対する態度が大きく変わることが良くある。例えば、日本語の敬語には身内では、序列が上の人を話題にする場合、敬語を使うが、外部に対しては身内で目上の人を言うときは、敬称を使わないのが礼儀である。
中国語の中の敬語表現は日本語に比べると、量的にかなり少なく、使用頻度も日本人より遥かに低い。中国語にも親疎内外を区別する敬語があり、各々特徴がある。上下関係や親疎関係による言葉使いの差異も日本語ほど明瞭かつ精細ではない。中国語の敬語は親疎、内外よりも上下の関係に良く使われるのに対し、日本語の場合は上下、親疎、内外のいずれにも気をつけながら使い分ける必要がある。特に内外に対しては厳しく要求される点で中国語との違いがある。
キーワード:敬語 人間関係 コミュニケーション 日中比較
中文摘要:语言是人类的交流的重要工具。日语中的敬语是一种根据说话人和听话人以及各种各样话题人物之间的关系的,对语言的恰当使用和明确人际关系的一种表现形式。
对于一直使用着敬语的日本人来说,敬语就像是我们周围的空气一样平常。但人们对于为什么会有敬语这样的问题却根本不会去想。更不会去想敬语的作用和如果没有了敬语的话怎么去使用日语这样的问题。如果没有了敬语,对于维持人际关系也是很难的。人们在各种各样的人际交往中可以使自己清楚的意识到要使用怎么样的与自己相称的语言。就像以上说的正是因为有了敬语,才使人们时刻有一种积极工作不敢怠慢的心。这样的话,也可以很好的构筑自己的人际关系了。
本研究立足于先行研究,以敬语和人际关系为研究对象,研究它们内在的联系和相互作用。以及通过对汉语中的敬语和人际关系的作用的分析,通过日中对比研究,显示出在上下关系和亲疏关系中,日语的用语更为细致和详尽。通过本研究可以看出同时是基于儒教的亲疏有别的日本和中国对于生活中的人都是由亲疏,内外之分的。而在欧美人的人际关系中这种区分就不怎么明显了。
可是像日本和中国那样同属儒教文化的国家里,对于生活中的圈外的人和圈内的人的态度大不相同,这样也是有好处的。例如在日语中,对于圈外的人和上司使用敬语,对圈内的人和晚辈不使用敬语是一种礼仪。
汉语中的敬语和日语比起来,不论在数量上还是使用频度上都是和日本不能比的。汉语中也有区分亲疏内外的敬语,但在上下关系和亲疏关系中的词汇运用上没有日语那样详细。汉语的敬语大多用在上下关系上,而日语的敬语在上下关系、亲疏关系、内外关系中都必须注意敬语的正确使用。而与汉语最大的不同之处就在于日语对于内外区分的要求是非常精细的。
关键词:敬语,人际关系,交流,日中比较