要 旨:中日両国で巻き起こした徐福研究のブームはますます盛んになることから、中日両国の人民は中日両国の友好往来を大変重視していることが十分にわかった。これから、私も徐福東渡の研究を続けてやっていきたいばかりでなく、中日文化交流にわずかながら力を尽くしたいと思っている。
キーワード:徐福東渡;中日文化;伝説;研究;遺跡
はじめに
徐福東渡の伝説について、いろんな論争がある。中国にも日本にも、徐福東渡に関わる伝説や記録などが多く伝わっている。そして、中国、日本には徐福伝説の伝承地が多数散在しており、徐福の歴史的実在性は、疑えないもののようである。近年来、中日両国の学者は徐福について深く研究している。特に、一九八二年、徐福の生まれた村が発見され、実在説が急上昇になってきた。徐福とその集団東渡の史実であることは、中国の史書記録や日本の古史、 古伝など、 また日本での徐福一族の墓碑銘の発見や、 中国での徐福村の発見などから、徐福の実在性が見事に立証されるようになった。それで、徐福は中日文化交流史上の重要な人物として、日本の古代文明に対する偉い貢献が無視できない。大規模で、計画的に、先進技術を帯びて日本に渡り、永久定住したのは、徐福が第一人者である。そして、徐福とその一行は日本弥生文明の夜明け時代を創り、数千人の童男、童女、百工の末裔の多くは日本人の先祖となったと見られる。が、徐福について、やはり言い争って止めない。特に、徐福の故郷や徐福最後の定着地や徐福東渡日本の航行路線などは論争の焦点である。 これらの謎を解くのは、中日両国の学者今後の重大な課題である。筆者は興味を持って、徐福の故郷だといわれる山東竜口の徐福鎮へ実地調査に行った。珍しい資料を手に入れて、真面目に研究して、自分なりの新たな見方を出すように努力したいのである。徐福伝説の研究を通じて、2千余年前の中日の文化交流にさかのぼって、中日交流にわずかな力を尽くしたいのである。