要旨
中国と日本は一衣帯水の隣国である。昔から、双方は激しい荒波を恐れず、文化交流を始めた。書道はもっとも美しい東方芸術の宝物の一つとして、中国で生まれ、漢字文化圏の国々に伝わっていった。日本はその一つである。
日本語で「書道」を使って文字(漢字と仮名)の書き芸術を表す。実に、「書道」という言葉は江戸時代後期に出現され、これまで「入木道」に使う。「入木(じゅぼく)」という言葉が書聖と仰がれた[晋]王羲之の筆力が強く、墨が木の板に深く染み通ったという故事からである。これを見て、中・日書道の源流と繋がりもわかる。
書道についての研究は日本の研究にとってとても重要な分野である。書道はあくまでも漢字の書き芸術なので、中・日書道の源流を研究するため、漢字が日本で出現される時間と書道に貢献する能書家についての研究も重要である。
日本書道に大きな影響を与える中国の能書家といえば、まず王羲之を思い出す。書聖王羲之の書は瀟洒な美しさや爽やかさがある。しかし、中・日書道交流の最盛期は唐代であり、当時でもっとも有名な書道家は顔真卿である。こちらの「顔体」の創始人も日本書道の発展に影響を与える。同じ時期の日本「三筆」のひとりの空海は顔真卿の影響を受けた。「日本の王羲之」と呼ばれる彼は、入唐前に王羲之の書の真髄を身につけ、入唐後は勉強の範囲を広げて、顔真卿に重点をおく。顔真卿の書体をまじめに勉強した後、帰国に著しい『灌頂記』を書いた。
本論文は中・日書道の源流と相違を研究するつもりだ。先人の研究成果に基づいて、顔真卿と空海という代表人物を中心として述べ、皆に中日文化を理解しやすいし、それによって、中日交流を積極的に行って、両国民間の距離を縮める。
中日書道が長い道を歩んで、模倣から革新まで、日本書道はある過程を過ごした。習うに優れる日本人は自身によって書道を再創造して、「道」を感ずる。日本人が作り出した書道は抽象的な芸術ではなく、書き手の感情と魂を振り込むキャリアである。
中国書道と日本書道、いずれも世界歴史文化の宝で、我々は伝承と発展に甲斐がある。書道は漢字の発展だけではなく中日人民の友好交流を証明するのだ。
キーワード:書道;源流;顔真卿;空海;相違
目次
要旨
中文摘要
1.序論1
2.中・日書道の源流.1
2.1源流の概略
2.2 奈良时代
2.3平安时代
3.唐朝の顔真卿3
3.1顔真卿とは
3.2 代表品―『争座位帖(そうざいじょう)』
3.3書の特徴―「外柔内剛」
3.3.1空海に影響する
3.3.2日本書道に影響する
4.平安の空海5
4.1空海とは
4.2代表品―『灌頂記』
4.3書の特徴―「雄渾」
4.3.1中国書道の影響を受ける
4.3.2顔真卿の影響を受ける
5.中・日書道の相違.6
5.1中国書道の特徴―顔真卿から見る
5.2日本書道の特徴―空海から見る
5.3両者の相違
6. おわり.8
参考文献9
謝辞